2.米騒動の広がり

これ以降、27・28日には東岩瀬町で、8月2日には泊町で救済哀願の動きがあり、同日高岡市で米小売商が大商人の貯蔵米の売り渡しをせまる事件も起きた。さらに翌3日、西水橋町では約300人が、4日には東水橋町では約700人が地主・米穀商宅へ米の廉売や積出し阻止などを求めて集まり、大騒動となった。同様の出来事は滑川町、生地町・石田村(現黒部市)、四方町(現富山市)、横山村(現入善町)でも次々と発生したが、8月6日から8日にかけて、滑川町では一時、東西両水橋の主婦らも合流し2,000人もの群集が大米穀商を襲ったり、汽船への米の積出しを阻止するなどの騒動を起こし、警官隊と対峙した。
3日の西水橋と6日の滑川の事件は『越中女一揆』として大阪や東京の大新聞をはじめ、各地の地方紙にも報道され、8月9日には岡山と名古屋、10日には京都、さらに大阪、東京と参加者が一千万人を越すといわれる全国的な米騒動に広がった。
- 2008.09.10 Wednesday
- 魚津の米騒動の歴史
- 09:29
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- by komekura