NPO法人 米蔵の会 富山県魚津市の米騒動を研究

→魚津米騒動の物語「浜に立つ女たち」を立ち読みできます。

短編小説 『浜に立つ女たち』

書籍のお問い合わせは、NPO法人米蔵の会(森のゆめ市民大学 内:0765-31-7002)まで。

3.米騒動の原因

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     米騒動の直接の原因は、大正7年(1918年)7月からの米価の高騰にある。第一次世界大戦による物価の高騰は特に米が著しく、米の需要増大と米不足、および米不足につけこんだ大地主や商人が、買い占めや売り惜しみを始めたことが米価の暴騰につながった。さらに、日本軍によるシベリア出兵決定による軍用米の買い付けが投機的取引を激化させ、米価暴騰に拍車をかけた。
     富山市における米価の推移をみると、大正5年後半から上がりだした米価は、大正7年3月以降は前年同期の二倍近くにはねあがり、内閣がシベリア出兵を決定した7月中頃から急上昇した。
     この年の魚津町の一升当たりの米価は1月22日までに24銭5厘に高騰していたが、米騒動勃発直前の7月21日には33銭までに跳ね上がった。さらに8月10日には40銭、10月24日には45銭になっている。当時の工場での日給が男で50〜70銭、女で20銭〜30銭であったことから、すでに米が庶民の口に入りにくくなっていたことがわかる。
     魚津町は江戸時代以来の越中東部の政治・経済の中心として、大正年間には一万五千人の人口を擁しており、北海道や樺太への米の積み出して栄えた大町海岸には米倉庫が立ち並んでいたが、今では、旧十二銀行の建物と倉庫(現魚津水産蠎匆亜砲残っているにすぎない。その頃の魚津港は、角川の加工を利用しており、大型船は入港できず沖合に停泊し、倉庫から仲仕たちがハシケまで積荷を運び、ハシケが蒸気船まで運んでいた。
     ところが当時、蒸気船がきて米が搬出されると町での小売価格が上がると考えられ、貧しい人たちにとって蒸気船は目のかたきにになっていた。こうして、7月23日の早朝伊吹丸が入港すると、主婦らが続々と海岸に集まり、仲仕たちに積み出しの中止をもとめることになる。

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